2013.03.11 しなやかに
ひとりになり優しい人達に助けられながら
一方で甘えられない意地っ張りな自分が居た


去年義父が亡くなり
千葉でひとりになってしまった高齢の義母を
壬生の叔父夫婦にお願いしてから
常に後ろめたいような申し訳ない気持ちを持ち続けていたが
今は義母の為に一番幸せな選択だったと思う

叔父夫婦に看取られ義母が亡くなった時
安心して眠るように 本当に眠るように旅立った
千葉で食が細くなっていた義母が
栃木に来てからはラーメンのおつゆまで飲むほど元気になった
生前 義母は施設の人達に
「栃木に来て良かった」と繰り返し話して居たと聞いた


叔父が取り仕切ってくれた家族葬は
義母の故郷である壬生の町で行われ
皆 家が近い事もあり高齢の親族も可能な限り集まってくれ
時折想い出話に涙する場面もあったが
終始和やかでとても良いお式だった

そのすべてが
私だけの力では出来なかった


凛として生きたいと思ってきたが
自分はそれほど強い人間ではない


葬儀の準備の合間に
叔父から主人の位牌を預かりたいとの話があった
住職から墓の管理者である叔父が
義父母の位牌と共に管理するのが望ましいと言われたそうだ

以前だったら気持ちの整理が着かず
素直に受けることが出来なかったかも知れない
正直 お聞きした時は戸惑いがなかった訳ではないが
落ち着いて考えれば
お盆に帰る家が複数あっては仏様も困るだろう

私にとって大切なのは気持ちであって物質ではない
 
お盆にお墓ではなく叔父の家にお線香をあげに伺って
叔父達と義父母や主人の思い出話をするのもいいと思う

これからは意地を張らず
しなやかに たおやかに生きて行こう

実は まだ先のことだが
義母の三回忌が済んだら墓を寺に帰し
永代供養をお願いする事になっている

今はいいが先々のことを考えると
南千住は遠く
叔父のお嬢様達に負担を追わせる事は出来ないし
私の親族にも託せない


形ある物は消え去り想いだけが残る
その想いすら
月日の流れの中で少しずつ意味合いが違ってくる


日々の暮らしの中で数々の物を失い
出逢いと別れを繰り返すうちに
怒り悲しむ感情は薄れたが時折ふと虚しさが襲う


この2年半で生活は落ち着き不安はないが
あの時ぽっかり空いた穴は今も埋めることが出来ず
自分でも何を求めているのかわからずにいる


震災から2年が経った今も
被害に遭われた人達の心に空いた穴が
埋まることはないのだろう

人の力には限りがある
けれど人にしか出来ない事が必ずあると思う


葬儀



3/21 昨日、お彼岸のお墓参りに行ってきました
 今年は例年より桜の開花が早く
 初めてお寺の桜を見ることが出来ました
 お天気も気温も心地よく
 帰りに浅草散策を楽しみました。
さくら


4/2 3月31日は義母の49日と義父の1周忌法要でした
 小雨降る花冷えの天気でしたが
 葬儀には来られなかった東京の従姉妹ご夫婦もいらして
 壬生からは叔父が手配して下さった貸し切りバスで親戚方が来て下さり
 無事に法要を終え納骨を済ませることが出来ました
 法要後、お寺で仕出しを頂きながら従姉妹達と楽しい時間を過ごせました

 帰り際、お線香と共にお位牌を叔父に託しました
 お寺の桜は満開を過ぎ
 惜しむようにフロントガラスに花びらがついていました

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