私がパートに出るようになったのと同じ頃
町内会の班長が回ってきて
あの人は公民館の集まりに出たり
印刷物を配ったり班長さんをしていた

越してきて2年前後だったが
班長がきっかけで顔見知りの人も増えた
夏祭りの際は受付をしたり
暑い中、子供御輿に付き添い楽しそうだった

その時、私が撮った写真が目の前にあるが
私の中で一番最後の記憶に近い優しい笑顔だ

運動会や秋祭りもみんなあの人が出てくれたので
班長の仕事を私が手伝ったのは
2度のゴミ当番のプリント制作と
引継の会議でお茶を用意した事くらいだった

人の良いあの人は翌年と翌々年も役員を引き受け
今も玄関には「ごみ減量推進委員」の札がある
-梨-


パートを始めてからも
休日にはふたりで外食や買い物に出かけた
土日は混むのでカラオケ回数は減ったが
相変わらず夫婦仲は良かった
-カラオケ-

そして
あの人の癌が見つかったのは亡くなる1年前

癌が見つかり、すぐ翌週に手術をしたが
誰かに心配をされるのが嫌いなあの人は
ほとんど誰にも知らせなかった

事前に知らせた義父母やわずかな友人にも
手術日は知らせず
退院後「終わった」と連絡を入れた

ひとり手術室の前で祈った時の心細さと
手術が無事終わった時の安堵を今も覚えている

なのに、あの人は麻酔が覚めると
すぐ家に帰ると言い
本当に手術の翌日に退院してしまった

傷口はお腹の下の方だから自分では見えなかったらしく
私に何もさせないあの人が
唯一退院後の傷口の消毒をさせてくれたのが嬉しかった
傷は順調に治り
その後、心配した癌の転移もなく胸をなで下ろした



※ 残すところ最後の1年となりましたが
 明日から2日間
 書き残した「生い立ち・小中学校」
 を書かせて頂きます


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今夜、あの人の実母から電話があった
電話の向こうで涙ぐみながら
何度も何度も「ごめんなさい」と
「ありがとう」を繰り返して下さるその声に
私は返す言葉が見つからず二人で泣いた

あの人の優しい心は、この母から受け継いだのだと思った
実母は今も生まれた時のへその緒と
赤ん坊の頃の写真を大切に持っていてくれた
元気なうちに会って欲しかった
お姉さんも元気にしていると教えてくれた
あの人が聞いたらどんなに喜んだことか

家の名義変更がなければ
実母にあの人の死を知らせる事も出来なかっただろう
離婚後に実父と養子縁組みをした為
実母は養子先の名字すら知らなかったと言う

名義変更の手続きに苦労しているが
無駄なことは何もないと改めて確信した


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