2010.11.13 幼児期4
子供が4歳になる頃
義父が勤めていた会社の新しい寮が埼玉に出来
好きな部屋を選んでイイと言われたそうだが
義父は生まれ育った南千住に戻りたいと言い
谷塚のアパートから南千住へと越してきた

そこは会社の建物で
1階が工場で2階が住まいになっていた
鉄筋建てだったので3階には屋上もあり
ニワトリやジュウシマツや鳩も飼っていたと言う
和室は6畳と8畳だったが広い板の間があり
子供はそこで三輪車に乗ることが出来た
近所には同じ年頃の子供がいて毎日一緒に遊べた
それまで同じ年頃の友達と遊んだ事がなかったから
友達と遊ぶのが楽しくて仕方がなかった

春になり子供は幼稚園へ入ったが
幼稚園時代の話はイタズラばかりだ
義母のいる家で毎日自由に遊んで居たので
時間と規則のある幼稚園に馴染めなかった子供は
大嫌いだった幼稚園の先生のスカートをめくったり
先生を教室の外に閉めだして鍵をかけたりし
ついには幼稚園を脱走してひとりで歩いて家に帰った
義母によると幼稚園から自宅まで直線距離だと1キロくらいだったが
子供は幼稚園バスの通路を通って帰って来たので
2キロ以上もひとりで歩いたらしい…
じっとしてられない性格に加え
谷塚で大学生や大人に遊んで貰って育った子供は
たぶんその年齢にしてはマセていて
先生からしたら、さぞ扱い辛かった事だろう

すでに2歳頃から記憶力は良かったようで
1度読んで聞かせた絵本はすぐに覚え
逆に義母に読んで聞かせたと言う
相変わらず「じっとしていない子」だったが
画用紙を預けておくと何時間でも絵を描いて静かだった
でも、あまりにも画用紙の減りが早いので
途中からわら半紙を束で買うようにしたそうだ

絵については義父が趣味で油絵を描いていたので
その影響もあったようだ

この頃、夏休みに義母と浅草に映画を見に行って
帰りに洋食を食べるのが楽しみだった
義母はおやつに粉末のゼリーを溶いて3色ゼリーを作った
カルピスの白とかき氷シロップの赤と緑
1つずつ固まるのを待って流し込み手間がかかったが
子供が喜ぶのを見るのが嬉しかった

大人になったあの人は夏になると牛乳を飲まない私のために
缶詰のフルーツを入れた牛乳寒天を作ってくれた

※ 主人と義母から聞いた話を元に書き記しました
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