| Home |
2015.08.22
5年目の夏休み
去年の夏の終わり頃から
新しい交友や初めての行動を試してきた
スマホを導入(使いこなしてませんが)してみたり
ネットのオフ会に参加させて頂いて
スカイツリーに上ったり
築地の市場で海鮮丼を月島ではもんじゃを食べ
亀戸天神の藤も見てきた

この春には数年ぶりの花見を2度も楽しんだし
なかなか再会出来ずに居た旧友にも会いに行けた
これまで無縁だったネットゲームにも熱中して
ゲームで知り合った同年代の女性が
わざわざ静岡から泊まりで会いに来てくれて
人生初のプリクラ撮影で大いに盛り上がり
夏頃には他のゲーム仲間達も誘って
東京でのオフ会も企画していた
けれど、それは突然来てしまった
出勤前、いつものように化粧をして居て気づいた
右の眉が低い
ぼんやりだが、口に麻酔がかかったような痺れ
・・・「きた」
今回で3度目になる
顔半面麻痺の症状
すぐに上司と同僚に連絡を入れ
休みをもらい、総合病院に向かうが
待たされたあげく担当の医師は不在で
担当外の医師から、近所の耳鼻咽喉科医院を紹介される
すでに午前中の診療時間は終わっていたため
午後一番で受診し、診断は顔面麻痺
点滴と投薬治療これは過去2回の経験済み
問題はどの程度長引くかだ
最初に顔面麻痺が起きたのは15年くらい前の事で
その時は気づくのが遅れたため
症状も重く快復に数ヶ月かかったように思う
二度目の時は6年前くらいだったが
早期発見で軽い症状で済み
10日くらいで普通の生活に戻れたように思う
今回も早期発見したつもりだったが
点滴を受けても症状はみるみる悪化していった
3回目と言う事もあり
大学病院での検査を勧められ
週明け紹介状を持って受診するが
MRI検査は、ある程度点滴と投薬治療をしてからとの事で
聴力検査と血液検査のあとで点滴
10日程の入院を勧められたが年老いた猫が居るので
通いで毎日点滴治療を受ける事にしてもらう
MRIの検査前に症状が治まるのではと期待したが
翌日から連日点滴と投薬を受けても
右側顔面の麻痺は進行し
右瞼は閉じることが出来ず
洗顔、シャンプーの際に目にテープを貼る程に
口元の麻痺はもっと深刻で
コップの水を飲むどころかストローでさえ飲むのに苦労する
食事も難しく
かろうじてパンやバナナを少しずつ口に運ぶが
パンを1つ飲み込みまでに疲れてしまう
そう言えば、このところ身体の不調があった
歯茎の腫れを感じたり
肩に異常な痛みを感じたり
人生には勝手にブレーキアシストが付いている事がある
そんな時は逆らわずに時が来るのを待てばいい
とは言え
職場の一番忙しい時期に
急遽、長期休職してしまった訳だが
職場の上司も仲間も皆優しく
「今は仕事の事は心配しないで療養に専念してね
何か困ったり心細い事があったら、夜中でも飛んで行くから
遠慮しないでメールちょうだい」との
申し訳ないほど暖かい言葉を頂いた
高齢の両親も
「顔以外は元気だから心配はいらない、お見舞いに来なくていい」と伝えたのに
突然、見舞いに来てくれた母が
父が車で待ってるからと玄関先でお見舞いのジュースなどが入った紙袋を置くと
慌ただしく帰ってしまったが
後で紙袋を見ると中に現金が入った茶封筒があり
驚いてすぐに電話を入れると
「仕事を休んで病院通いするのは大変だから足しにしてくれ」との言葉
私は今も高齢の両親に心配をかけているのだと思うと
申し訳ないと思うとともに情けない気持ちになった
2週間ほど点滴に通う間に症状の進行は治まったが
回復に向かうまでにはそれからしばらく時間がかかった
MRIの結果も異常は認められず
多くの人が体内に保有しているヘルプスウィルスが
何らかの原因で顔の毛細血管に作用してしまった?・・・らしい
通常繰り返す病気ではないようだが
私の場合は3回目なので
他の人より、この病気になりやすいのだろう
点滴投与中は薬の副作用で全身の軽い痺れなどがあり不調だったが
点滴期間を終えてからは顔以外元気だったので
心配している実家の母を誘ってマスクをして映画を観たりしたが
何分、顔の症状があるので出来ることが限られる
庭の手入れや破れた障子の補修
細かい手芸等々通院日以外はほとんど家で過ごした
1ヶ月が経ち
お店の店長から「無理のない程度で構わない」と言って頂けたので
38日ぶりにマスク姿で職場復帰したが
週に一度首へのブロック注射とレーザー治療に通い
麻痺症状は多少回復しているものの
未だ片目は完全に閉じる事が出来ず口の麻痺も残っていた
発症から2ヶ月が経ち
過去の経験から「治る病気だから」と
のんきに構えていた気持ちにも焦りが出始める
自分の不自由はともかく見た目の表情の不自然さは
接客をしていてもお客様に不快感を与えているのではないか
顔なじみのお客様からは
マスクを外して説明するまで気づかなかったと言って頂けたが
完治しない可能性もゼロではない
このまま治らないようなら、別の仕事を探さないといけないのではないか
元来の強がりな性格の為
誰かに相談することもなく、ひとり考え始めた頃
7/28 また1匹愛猫が逝った
食が細くなり 好物のかつぶしも食べなくなり
日に日に小さくなって
クラリス享年15歳4ヶ月
まだ目の開かない時から主人が注射器でミルクを飲ませ育てた
賢くて優しくて美しい猫だった
自宅療養中、いつもより一緒に過ごせて良かった
残る猫は2匹
私にはまだ責任がある
休職中、家に話し相手はなく
猫達の存在だけが救いだったが
あと数年で本当のひとり暮らしになるだろう
60歳過ぎたら仕事も失うかも知れない
15年前、最初の顔面麻痺の時もかなり重い症状で
食べるのも容易ではなく、言葉もうまく発せられず
不器用に何かを食べて「おいひい」と言った時
主人は微笑みながら曲がった顔の私を「かわいい」と
「そのまま治らなくてもいい」と言ってくれた
半面が麻痺した顔は不自然に歪み
特に目つきが怖く、お世辞にも可愛いにはほど遠いのに
ひとり暮らしももう5年になってしまった
主人に代わる人など居るはずがないが
残り三分の一の人生を考えると
ひとりが辛く感じる時もある
8月22日お墓が無くなってから初めてお寺に向かいます
9/5 また愛猫が逝ってしまった
昨年から視力が落ち春頃からは全く目が見えなくなって
1日のほとんどを同じ場所から動かなくなって居たが
先月までは食欲もあったのに
リンダ享年16歳7ヶ月
クラリスとあかねのお母さん
あの人が一番愛したしなやかな黒猫だった
今年の夏は寂しい・・・
最後の猫あかねは元気です
新しい交友や初めての行動を試してきた
スマホを導入(使いこなしてませんが)してみたり
ネットのオフ会に参加させて頂いて
スカイツリーに上ったり
築地の市場で海鮮丼を月島ではもんじゃを食べ
亀戸天神の藤も見てきた

この春には数年ぶりの花見を2度も楽しんだし
なかなか再会出来ずに居た旧友にも会いに行けた
これまで無縁だったネットゲームにも熱中して
ゲームで知り合った同年代の女性が
わざわざ静岡から泊まりで会いに来てくれて
人生初のプリクラ撮影で大いに盛り上がり
夏頃には他のゲーム仲間達も誘って
東京でのオフ会も企画していた
けれど、それは突然来てしまった
出勤前、いつものように化粧をして居て気づいた
右の眉が低い
ぼんやりだが、口に麻酔がかかったような痺れ
・・・「きた」
今回で3度目になる
顔半面麻痺の症状
すぐに上司と同僚に連絡を入れ
休みをもらい、総合病院に向かうが
待たされたあげく担当の医師は不在で
担当外の医師から、近所の耳鼻咽喉科医院を紹介される
すでに午前中の診療時間は終わっていたため
午後一番で受診し、診断は顔面麻痺
点滴と投薬治療これは過去2回の経験済み
問題はどの程度長引くかだ
最初に顔面麻痺が起きたのは15年くらい前の事で
その時は気づくのが遅れたため
症状も重く快復に数ヶ月かかったように思う
二度目の時は6年前くらいだったが
早期発見で軽い症状で済み
10日くらいで普通の生活に戻れたように思う
今回も早期発見したつもりだったが
点滴を受けても症状はみるみる悪化していった
3回目と言う事もあり
大学病院での検査を勧められ
週明け紹介状を持って受診するが
MRI検査は、ある程度点滴と投薬治療をしてからとの事で
聴力検査と血液検査のあとで点滴
10日程の入院を勧められたが年老いた猫が居るので
通いで毎日点滴治療を受ける事にしてもらう
MRIの検査前に症状が治まるのではと期待したが
翌日から連日点滴と投薬を受けても
右側顔面の麻痺は進行し
右瞼は閉じることが出来ず
洗顔、シャンプーの際に目にテープを貼る程に
口元の麻痺はもっと深刻で
コップの水を飲むどころかストローでさえ飲むのに苦労する
食事も難しく
かろうじてパンやバナナを少しずつ口に運ぶが
パンを1つ飲み込みまでに疲れてしまう
そう言えば、このところ身体の不調があった
歯茎の腫れを感じたり
肩に異常な痛みを感じたり
人生には勝手にブレーキアシストが付いている事がある
そんな時は逆らわずに時が来るのを待てばいい
とは言え
職場の一番忙しい時期に
急遽、長期休職してしまった訳だが
職場の上司も仲間も皆優しく
「今は仕事の事は心配しないで療養に専念してね
何か困ったり心細い事があったら、夜中でも飛んで行くから
遠慮しないでメールちょうだい」との
申し訳ないほど暖かい言葉を頂いた
高齢の両親も
「顔以外は元気だから心配はいらない、お見舞いに来なくていい」と伝えたのに
突然、見舞いに来てくれた母が
父が車で待ってるからと玄関先でお見舞いのジュースなどが入った紙袋を置くと
慌ただしく帰ってしまったが
後で紙袋を見ると中に現金が入った茶封筒があり
驚いてすぐに電話を入れると
「仕事を休んで病院通いするのは大変だから足しにしてくれ」との言葉
私は今も高齢の両親に心配をかけているのだと思うと
申し訳ないと思うとともに情けない気持ちになった
2週間ほど点滴に通う間に症状の進行は治まったが
回復に向かうまでにはそれからしばらく時間がかかった
MRIの結果も異常は認められず
多くの人が体内に保有しているヘルプスウィルスが
何らかの原因で顔の毛細血管に作用してしまった?・・・らしい
通常繰り返す病気ではないようだが
私の場合は3回目なので
他の人より、この病気になりやすいのだろう
点滴投与中は薬の副作用で全身の軽い痺れなどがあり不調だったが
点滴期間を終えてからは顔以外元気だったので
心配している実家の母を誘ってマスクをして映画を観たりしたが
何分、顔の症状があるので出来ることが限られる
庭の手入れや破れた障子の補修
細かい手芸等々通院日以外はほとんど家で過ごした
1ヶ月が経ち
お店の店長から「無理のない程度で構わない」と言って頂けたので
38日ぶりにマスク姿で職場復帰したが
週に一度首へのブロック注射とレーザー治療に通い
麻痺症状は多少回復しているものの
未だ片目は完全に閉じる事が出来ず口の麻痺も残っていた
発症から2ヶ月が経ち
過去の経験から「治る病気だから」と
のんきに構えていた気持ちにも焦りが出始める
自分の不自由はともかく見た目の表情の不自然さは
接客をしていてもお客様に不快感を与えているのではないか
顔なじみのお客様からは
マスクを外して説明するまで気づかなかったと言って頂けたが
完治しない可能性もゼロではない
このまま治らないようなら、別の仕事を探さないといけないのではないか
元来の強がりな性格の為
誰かに相談することもなく、ひとり考え始めた頃
7/28 また1匹愛猫が逝った
食が細くなり 好物のかつぶしも食べなくなり
日に日に小さくなって
クラリス享年15歳4ヶ月
まだ目の開かない時から主人が注射器でミルクを飲ませ育てた
賢くて優しくて美しい猫だった
自宅療養中、いつもより一緒に過ごせて良かった
残る猫は2匹
私にはまだ責任がある
休職中、家に話し相手はなく
猫達の存在だけが救いだったが
あと数年で本当のひとり暮らしになるだろう
60歳過ぎたら仕事も失うかも知れない
15年前、最初の顔面麻痺の時もかなり重い症状で
食べるのも容易ではなく、言葉もうまく発せられず
不器用に何かを食べて「おいひい」と言った時
主人は微笑みながら曲がった顔の私を「かわいい」と
「そのまま治らなくてもいい」と言ってくれた
半面が麻痺した顔は不自然に歪み
特に目つきが怖く、お世辞にも可愛いにはほど遠いのに
ひとり暮らしももう5年になってしまった
主人に代わる人など居るはずがないが
残り三分の一の人生を考えると
ひとりが辛く感じる時もある
8月22日お墓が無くなってから初めてお寺に向かいます
9/5 また愛猫が逝ってしまった
昨年から視力が落ち春頃からは全く目が見えなくなって
1日のほとんどを同じ場所から動かなくなって居たが
先月までは食欲もあったのに
リンダ享年16歳7ヶ月
クラリスとあかねのお母さん
あの人が一番愛したしなやかな黒猫だった
今年の夏は寂しい・・・
最後の猫あかねは元気です
スポンサーサイト
| Home |